「間違っているのはこの世界だ」 [みやの叫び]
「間違っているのはこの世界だ!」
よくドラマやアニメなんかで聞くセリフですね。
今回は私の心の叫びを少しだけ聞いてください。
この世界で常識だと思われていること。
たとえば
・学校に真面目に毎日行く
・目上の人は敬うべきだ
・人には優しくしましょう
・ゲームばっかりしていてはダメ
・テストの点数は高いほうがいい
などなど
生きていくうえで無数の常識が存在します。
この常識を無視するものは
「変わり者」
「バカ」
などのレッテルを貼られます。
そして、常識を無視するもの、すなわち強烈な個性の持ち主は仲間はずれにされるのです。
元々、どちらが正しくてどちらが間違ってるなんてのは存在しません。
この世界のすべては多数決で決まるのです。
正しいと思う人が多い方が正しくなるのです。
その結果、多数派に合わせる人間が大量発生しました。
みんなと同じ音楽を聴き、みんなと同じ服を着て、みんなと同じことについて話す。
その中で浮いてくる人間、すなわち個性が強すぎる人間をみんなで叩くのです。
いじめられる人は何一つ間違っちゃいない。
いじめられる方にも原因はある。確かにある。
だがそれは決して叩かれるようなものではなく
むしろ、この今のコモデティ化(平均化)した世界には貴重な存在。
だから私はいじめ・いじりに苦しむ人たちにこれだけはわかってほしい。
あなたは何も間違っていない。
自信を無くすこともない。
周りから何を言われてもくじけることはない。
間違っているのはこの世界なのだから。
よくドラマやアニメなんかで聞くセリフですね。
今回は私の心の叫びを少しだけ聞いてください。
この世界で常識だと思われていること。
たとえば
・学校に真面目に毎日行く
・目上の人は敬うべきだ
・人には優しくしましょう
・ゲームばっかりしていてはダメ
・テストの点数は高いほうがいい
などなど
生きていくうえで無数の常識が存在します。
この常識を無視するものは
「変わり者」
「バカ」
などのレッテルを貼られます。
そして、常識を無視するもの、すなわち強烈な個性の持ち主は仲間はずれにされるのです。
元々、どちらが正しくてどちらが間違ってるなんてのは存在しません。
この世界のすべては多数決で決まるのです。
正しいと思う人が多い方が正しくなるのです。
その結果、多数派に合わせる人間が大量発生しました。
みんなと同じ音楽を聴き、みんなと同じ服を着て、みんなと同じことについて話す。
その中で浮いてくる人間、すなわち個性が強すぎる人間をみんなで叩くのです。
いじめられる人は何一つ間違っちゃいない。
いじめられる方にも原因はある。確かにある。
だがそれは決して叩かれるようなものではなく
むしろ、この今のコモデティ化(平均化)した世界には貴重な存在。
だから私はいじめ・いじりに苦しむ人たちにこれだけはわかってほしい。
あなたは何も間違っていない。
自信を無くすこともない。
周りから何を言われてもくじけることはない。
間違っているのはこの世界なのだから。
タグ:いじめ
いじめといじりの違い [いじめを知る]
どうも、みやです。
最近「イジリ」という言葉をよく見かけるようになりました。
TVでも「いじられキャラ」と呼ばれるタレントがいたりして、イジリに対してポジティブなイメージを世間に与えています。
イジリとは、対象者の弱点やミス、もしくはコンプレックスを取り上げてはずかしめる行為です。
TVだと芸人などがきちんと笑いをとれるように出演者をいじっています。
例えば、芸人のハリセンボンの近藤春菜さん。
彼女の鉄板ネタといえば
引用元:http://girlschannel.net/topics/6389/
これですよね。
確かに面白いです。
ただ、それが日常で起きた場合どうでしょうか?
自分がいじられて笑われるのはどういう気持ちでしょうか?
しかもその内容が自分の容姿などのコンプレックスであった場合どうでしょうか?
プライドも自分への自信もなくなっていきませんか?
ハリセンボンの春菜さんはいじられてお金を貰っています。
彼女にとっていじられるというのは仕事なんです。
もちろん、いじる側も仕事なので面白くなるようにいじってます。
テレビの中の「いじり」はあくまでエンターテイメント、ショーなのです。
そして、日常生活におけるいじりは確かに笑いは起きます。
いじった側は笑いをとれて気持ちがよいかもしれません。
いじられた側はどうでしょうか?
ただ、笑われただけです。
お金ももらえません。
しかし、いじる側の人は言います。
「いじってもらえるだけありがたいと思えよ。 いじられない方がかわいそうだ。」
本当にそうでしょうか?
私は今までたくさんの「いじり」を受けてきました。
いじられて
「ああいじられて良かった!」
と思ったことはほとんどありません。
ごくたまに、こちらのプライドや立場を考慮しながらいじってくる人もいます。
そういういじりは不思議と傷つきません。
そういう愛のあるいじりを除いて、私の中では
「いじり」は「いじめ」の卵
だと考えています。
「いじり」がずっと続くと、いじる側の感覚が次第に麻痺してきて、エスカレートします。
これが「いじめ」の孵化です。
つまり、日常にあふれている「いじり」は非常に危険な存在なのだと、世間は知るべきなのです。
今回はここまでです。
コメントなど頂けると喜びます。
ではでは。
最近「イジリ」という言葉をよく見かけるようになりました。
TVでも「いじられキャラ」と呼ばれるタレントがいたりして、イジリに対してポジティブなイメージを世間に与えています。
イジリとは、対象者の弱点やミス、もしくはコンプレックスを取り上げてはずかしめる行為です。
TVだと芸人などがきちんと笑いをとれるように出演者をいじっています。
例えば、芸人のハリセンボンの近藤春菜さん。
彼女の鉄板ネタといえば
引用元:http://girlschannel.net/topics/6389/
これですよね。
確かに面白いです。
ただ、それが日常で起きた場合どうでしょうか?
自分がいじられて笑われるのはどういう気持ちでしょうか?
しかもその内容が自分の容姿などのコンプレックスであった場合どうでしょうか?
プライドも自分への自信もなくなっていきませんか?
ハリセンボンの春菜さんはいじられてお金を貰っています。
彼女にとっていじられるというのは仕事なんです。
もちろん、いじる側も仕事なので面白くなるようにいじってます。
テレビの中の「いじり」はあくまでエンターテイメント、ショーなのです。
そして、日常生活におけるいじりは確かに笑いは起きます。
いじった側は笑いをとれて気持ちがよいかもしれません。
いじられた側はどうでしょうか?
ただ、笑われただけです。
お金ももらえません。
しかし、いじる側の人は言います。
「いじってもらえるだけありがたいと思えよ。 いじられない方がかわいそうだ。」
本当にそうでしょうか?
私は今までたくさんの「いじり」を受けてきました。
いじられて
「ああいじられて良かった!」
と思ったことはほとんどありません。
ごくたまに、こちらのプライドや立場を考慮しながらいじってくる人もいます。
そういういじりは不思議と傷つきません。
そういう愛のあるいじりを除いて、私の中では
「いじり」は「いじめ」の卵
だと考えています。
「いじり」がずっと続くと、いじる側の感覚が次第に麻痺してきて、エスカレートします。
これが「いじめ」の孵化です。
つまり、日常にあふれている「いじり」は非常に危険な存在なのだと、世間は知るべきなのです。
今回はここまでです。
コメントなど頂けると喜びます。
ではでは。